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名古屋地方裁判所 昭和45年(ワ)2702号 判決

原告

宮田林之助

被告

右代表者

植木庚子郎

右指定代理人

吉田文彦

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和四五年一一月二七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。

原告は請求の原因として次のとおり述べた。

一、別紙目録記載の各土地はもと訴外平林繁敬の所有に属していたところ、原告は昭和一三年頃以来右訴外人より別紙目録記載(一)の土地のうち別紙図面斜線部分約二三〇坪(760.33m2)同(四)の土地のうち別紙図面斜線部分約三〇坪(99.17m2)同(五)の土地のうち別紙図面斜線部分約五〇坪(165.28m2)をそれぞれ賃借して耕作していた。

二、ところが右訴外人はいわゆる不在地主であつたため、国は昭和二三年頃当時施行されていた自作農創設特別措置法(以下自創法という)に基づいて別紙目録記載の土地を買収したのである。

三、原告は、国が右買収処分をなした当時前述のように右土地の一部並びに他の農地合計三反歩の耕作に従事していたものであるところ別紙目録記載の土地のうち原告の右耕作部分を除くその余については訴外清水慎一ほか一九名がそれぞれ右平林繁敬から賃借して耕作に従事していたが同訴外人らはいずれも他に専業を有し自家用の飯米等の獲得のみを目的とするものであつたから原告のみが三反歩の農地を耕作する農業に精進するものであつたのである。そこで原告は昭和二三年四月別紙目録記載の土地につき右土地所在地の挙母町農地委員会に対し自創法に基づく買受けの申込をなしたのである(当時の右農地委員会委員の一人である矢頭利明の助手をしていた亡杉浦荘一が右農地委員会に於て原告が前記農地買受適任者と認定したため買受申込書の用紙を原告方へ持参し買受申込みをなさしめるための署名捺印を求め原告は之れに署名捺印をしたのである)。

四  しかるに右訴外亡杉浦荘一はその頃右の通り農地委員の助手即ち農地委員会の助手をしていたがその地位を利用して別紙目録記載の土地を不法に自己の手中に収めようと企て訴外杉浦銀十、同市古粛亮と相謀つて右農地委員会をして原告の右買受申込を破棄隠滅した農地売渡計画を樹立させ結局原告の右買受申込書を愛知県に提出することを妨害して為さしめず右被告に対し右訴外杉浦銀十、同市古粛亮と共に右土地につき何等買受資格がなかつたにも拘らず後記の如く買受人名称を欺罔し以つて被告を欺罔し買受申込をなしその結果国から右土地を自創法に基づき売渡を受けたものである。

五、すなわち国は昭和二四年一一月二日訴外銀十、同市古及び亡荘一の三名に対し右土地を自創法に基づき売渡処分をなし別紙目録記載の(一)乃至(五)の土地に対する右売渡処分に関して名古屋法務局豊田出張所昭和二五年三月三一日受付第二二六八号の同(六)の土地につき同出張所同日受付第二二七九号の同(七)の土地につき同出張所同日受付第二二七二号の、各所有権取得登記が経由されたのである。

六、前記国の売渡処分はその相手方たる右訴外銀十外二名が前記のとおり何等の買受資格をも有しないものであるから当然無効でなくてはならない(なお右農地委員会の樹立した右土地の売渡計画書には右土地の売渡人は前山農業協同組合代表者三名として訴外銀十、同市古及び亡荘一と表示されていて個人たる右三名の表示がなされていないこと及び右前山農業協同組合なるものが全く存在した事実のないことからも右三名が個人としては右土地につき買受資格がなかつたものといえるのである)。従つて右三名がたとい国から右土地の売渡を受けその旨の登記を経由していても右土地の所有権を取得することは出来ない筈である。

七、処が国はこの無効となるべき事実を無視し不法にも右訴外銀十外二名に対し自創法に基づく売渡による所有権取得登記手続を完了せしめたのである。

八、よつて原告は当然国より売渡を受くべき右土地を取得することが出来ずその為め右土地の時価相当額及其の他雑費を加算し金一億円相当の損害を蒙つたものである。

よつて原告は本訴に於て右金一億円のうち金一〇〇万円也及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四五年一一月二七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告は答弁及び抗弁として次のとおり述べた。

一、請求原因一の事実は不知。

二、同二の事実は認める。但し、物件目録(七)は昭和二三年一〇月二日、その余の物件は昭和二四年一二月二日それぞれ自作農創設特別措置法(以下法という)第三条により買収したものである。

三、同三の事実中矢頭利明が当時挙母町農地委員会(現豊田市農業委員会)の農地委員であつたことは認め、原告が三反歩を耕作していたこと、農業に精進するものであつたこと、挙母町農地委員会に対し法に基づく買受申込をしたことは争い、その余は否認する。

但し、別紙目録記載の土地のうち、原告の耕作部分を除くその余について訴外清水盛一ほか一九名が賃借耕作していたことは不知。

四、同四の事実中訴外亡杉浦荘一は挙母町農地委員会の助手ではなく、補助員であつたことは認め、その余は否認する。

五、同五の事実は認める。

六、同六ないし八の事実は争う。

七、本来、法により売渡しをうけるべき者(買受適格を有する者)は同法一六条に「自作農として精進する見込のあるもの」と規定されている。ところで、「自作農として精進する見込のあるもの」とは当該地域の状況(農村、山林、魚村あるいは直接土地に依存することの少ない高級園芸等)によりその耕作面積は多少異なるが、売渡しをうける以前において農耕地、果樹、園芸等を概ね二反歩を耕作し、もつぱらその農業により生計を維持している者をいうと解されていた。

しかるに、挙母町農地委員会が本件係争地一帯の土地の売渡計画を樹立するに際し、原告方の耕作状況等について調査したところ、原告の家族構成は原告、配偶者、長男、三男、四男、二女の六人であり、原告及びその妻は八百屋を営み、長男、三男は豊田自動車工業株式会社に勤務し、四男、二女は学生であつた。そして、当時は食糧が不足していた頃でもあつたので原告は自作地3.4畝歩のほか訴状記載物件目録記載の土地のうち約一反歩を訴外平林繁敬より借りうけ耕作していたが、その作物はもつぱら自家の生計のために消費されていたことが判明した。

しかも、本件係争地域は、一般的な農村地帯で耕地面積の少ない特殊な地域でなく、また原告は特別な高級園芸を営んでいたものでもないから、一反3.4畝の耕作では到底原告方一家六人の生計の中心にはなりえず、農耕には全く重きをおかれていないこと明らかである。

以上のような次第であるから、原告は「農業に精進する見込のあるもの」とは到底認められず、従つて、買受適格を有しないこと明らかといわねばならない。

八、農地売渡計画において当該農地の売渡の相手方とされるべき者は法第一七条に規定する買受の申込をした者でなければならないことは同法第一八条三項の明定するところである。

しかして、法施行規則第八条によると、法第一七条の規定により農地の買受の申込をするには(イ)申込者の氏名または名称及び住所、(ロ)買受けるべき農地の所在、地番、地目及び面積、(ハ)買受ける場合の希望価格及び対価の支払の方法、(ニ)その他必要な事項を記載した申込書を市町村農地委員会に提出しなければならないこととされている。

ところで、原告は本件農地につき法第一七条の規定による買受申込書を挙母町農地委員会に提出していないから、買受適格がないこと明らかである。

九、原告は、挙母町農地委員会の農地委員の補助者の不法行為を原因として国に損害賠償の請求をなしておられるが、仮りに右不法行為があつたとしても、該不法行為の時期は原告も自認しているとおり訴外杉浦荘一外二名に対し本件農地を売り渡した日すなわち昭和二四年一一月二日である。

したがつて、右売渡処分をなした日より二〇年を経過した昭和四四年一二月二日をもつて、国に対する損害賠償請求権は時効により消滅したというべきであるから、被告は昭和四六年二月二五日の本件口頭弁論において右時効を援用した。

理由

爾余の争点に関する判断はしばらくおき、被告の時効の抗弁について審案する。

原告の本訴請求原因事実によれば、本件について国の損害賠償責任が発生した日は昭和二四年一二月二日であるというのである。しかして原告が本訴を当裁判所岡崎支部(後に本件は同支部から当裁判所に回付された)に提起した日は昭和四五年八月二〇日であることは記録上明白である。

してみると右の日時は被告の損害賠償責任が発生した日から二〇年以上を経過した日であることは明らかであつて、仮に被告が原告に対して本件について損害賠償の義務があつたとしても、右の被告の債務は二〇年の時効によつて消滅した後に原告が本訴を提起したものという他はない。

なお原告の本訴請求は国家賠償法にもとづき国に対して損害賠償を求めるものと解されるが、同法四条によると国の賠償責任の時効は民法の定めるところによるものであることが定められているのである。

よつて原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから失当として棄却するべく、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(高橋爽一郎)

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